2008年04月09日

宗教、救済観について

選挙自体はまだまだ先だが、アメリカ大統領選挙は長期にわたっての宣伝行動が行われている。というかそんな話はニュースを見ればわかる。

今日は宗教および救済観について。個人的に関心の高いヒラリー氏について、彼女はどうやらメゾジズトらしい。メゾジストが聞きなれないので調べてみると意外にも納得できる考え方だった。

 元来キリスト教カトリック自体には、「人間はアダムの子孫であり、生れながらの罪人である」と記述されていて、救済が明記されていない。それに対して、派生(?)のユダヤ教は経典の熟読による救済を認めている。これは、ユダヤ教が神の定めた経典を人間が真の理解は不可能という点についての深い考察を避けているからこそ可能といえる。
 では肝心のメゾジストはどうか。メゾジストはプロテスタントに属するためか、日々の糧から悔い改める行為による救済を重んじている。仏教が浸透している日本としてはこちらの方が納得し易い。(そもそも救済されない宗教てどうなんだとすら思っている。)そして完全に蛇足だが、予定説という神学思想があり、あらかじめ救済される人間とそうでない人間とが区別されているという思想もある。宗教素人としてはこちらの方が宗教ぽさがあって好きだ。世界的にはマイナーなプロトコルとして存在するらしいけれど。

 ここで思ったことは、なぜ保守的で他者排斥が強いカトリックに対して古代から残り続け、現代においても避難されながらも存続できているのか、ということ。私は正真正銘宗教素人な訳で、メゾジストやユダヤ教、100歩譲ってプロテスタントのように救済に対する一定の譲歩がないと信仰に対するメリットが見いだせないし、日々の生活に教会というアクションを組み込むことは難しいのではないかと思う。

 でもメリットとかデメリットとかそんな事を求めている事そのものが、主教という大きな苗床にとって小さく、無意味な天秤なのだとすると、私はどうしてこんな記事を書く気持になったのだろう。(と、こうやって無限回廊に閉じ込めるのが宗教の罠か・・・ ・)
posted by えぱんだ at 12:04 | TrackBack(0) | personal-life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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